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2009.09/14 [Mon]
俺的ラブプラス論 『ラブプラスはトロ』
ようやくこのソフトについて俺理論ができました。
ニンテンドーDSという、2画面液晶のタッチパネル携帯ゲーム機での発売です。
24時間一緒にいられるという持ち歩きできることが必須のコンセプトで、しかもスキンシップというタッチペンを使うモードがあるので、現時点で他のハードでは同じソフトは出せません。
で、その魅力といわれる部分を自分なりに分析していった上で、このソフト独自の「肝」とも言うべきポイントをみつけました。
「いつでも彼女と一緒にいられる」という部分自体はポケットステーションや携帯アプリの「どこでもいっしょ」など、昔からいろいろ出てます。
タッチペンで女の子に触るというのはDSで「どきどき魔女審判」など、最近ぼちぼちあります。
フルボイスのゲームというのも今までたくさん出ています。
ゲームシステム自体も、同じコナミ自身の名作「ときめきメモリアル」とそれほど差はありません。
非常に作り込んであるのと、ボイス/メッセージの量がとんでもなく多いのは感じられます。
が、これは凄さではあるけど特色ではありません。
では、このソフトのいちばんのキモはどこなのか。
それは、「トロ」というキーワードで語ることができると考えます。
トロというと、
このトロが思い浮かびますが、違います。
こっちです。
ギャルゲーというのは、恋愛を成就させて告白されるまでを楽しむのがゲーム。
エロゲーというのは、恋愛はとりあえず不問だけど、目的の異性とSEXするのを楽しむゲーム。
このギャルゲーとエロゲーの間に、実際の恋愛には「恋人以上SEX未満」の時期が存在します。
恋人関係が成立して、頭がふわふわして、気が付いたらニヤニヤしているという、浮かれてる時期です。
仮にこの状態を「ふわふわ状態」と名付けます。
この状態は、恋愛している当人たちには脳内ヘヴンなのですが、傍から見るとウザいことこの上ない状態です。口を開けば恋人自慢で、「どうしたんだあいつ、気持ち悪い」ってくらいニヤニヤしているんですから。
この「ふわふわ状態」は、ぶっちゃけて言ってしまえば「浮かれてるだけ」であって、ギャルゲの攻略部分にもエロゲのSEX描写の部分にもまったくひっかからない。
しかも、やっているプレイヤー本人は画面の中にいるキャラクターを動かして、「カネを払って苦労して他人の浮かれているサマをみせつけられる」というわけのわからない状態になります。まだSEXしているならいいけど、ただ浮かれてイチャイチャしてるのをみせつけられるのはいただけません。
あれが楽しいのは本人たちだけです。
故に、ギャルゲエロゲ20年以上(くらいだったと思う)の歴史の中で、
ギャルゲでは告白で終わり、
エロゲではさっさとSEXに関心が移ってしまって、
恋愛という現象の中で当事者にとっては一番甘い時期のひとつであるにもかかわらず、スポットライトが当たることが全くなかった部分なのです。
大量に姓・名を声優自身の声で呼べるデータとして吹き込んで、タッチペンで直接触れ、プレイヤー自身の姿形・影・指先すらも画面に登場しないという、
徹底したプレイヤーの第三者化の排除によって、プレイヤーは彼女の恋人であるという自覚を持ち、
ギャルゲやエロゲで切り捨てられ続けてきた、恋愛のふわふわ状態を好きなだけ味わうことができる。
しかも、プレイヤー全員で同じ「偶像」としての1人の彼女を追いかけるのではなく、彼女がそれぞれのプレイヤーの好みを追いかけて来てくれるという親近感。
3人の女の子、それぞれ3つの性格、それぞれ10以上の髪型、髪の色、服装の組み合わせは実質無限大といっていい多様性があり、「うちのリンコ」「俺の彼女」という各自の占有感を感じさせてくれます。
○○ちゃんとちゅっちゅしたいよぉ~
という匿名掲示板でのオタクの心の叫びは、タッチペンのDSと家庭用ギャルゲの始祖コナミというコンビネーションで誕生した奇跡で満たされることになる。
それが少子化を推進するか、救われない誰かを救うことになるのかは神の味噌汁ということで。
ラブプラス (2009/09/03) Nintendo DS 商品詳細を見る |
ニンテンドーDSという、2画面液晶のタッチパネル携帯ゲーム機での発売です。
24時間一緒にいられるという持ち歩きできることが必須のコンセプトで、しかもスキンシップというタッチペンを使うモードがあるので、現時点で他のハードでは同じソフトは出せません。
で、その魅力といわれる部分を自分なりに分析していった上で、このソフト独自の「肝」とも言うべきポイントをみつけました。
「いつでも彼女と一緒にいられる」という部分自体はポケットステーションや携帯アプリの「どこでもいっしょ」など、昔からいろいろ出てます。
タッチペンで女の子に触るというのはDSで「どきどき魔女審判」など、最近ぼちぼちあります。
フルボイスのゲームというのも今までたくさん出ています。
ゲームシステム自体も、同じコナミ自身の名作「ときめきメモリアル」とそれほど差はありません。
非常に作り込んであるのと、ボイス/メッセージの量がとんでもなく多いのは感じられます。
が、これは凄さではあるけど特色ではありません。
では、このソフトのいちばんのキモはどこなのか。
それは、「トロ」というキーワードで語ることができると考えます。
トロというと、
どこでもいっしょ PSP the Best (2005/12/01) Sony PSP 商品詳細を見る |
このトロが思い浮かびますが、違います。
こっちです。
ギャルゲーというのは、恋愛を成就させて告白されるまでを楽しむのがゲーム。
エロゲーというのは、恋愛はとりあえず不問だけど、目的の異性とSEXするのを楽しむゲーム。
このギャルゲーとエロゲーの間に、実際の恋愛には「恋人以上SEX未満」の時期が存在します。
恋人関係が成立して、頭がふわふわして、気が付いたらニヤニヤしているという、浮かれてる時期です。
仮にこの状態を「ふわふわ状態」と名付けます。
この状態は、恋愛している当人たちには脳内ヘヴンなのですが、傍から見るとウザいことこの上ない状態です。口を開けば恋人自慢で、「どうしたんだあいつ、気持ち悪い」ってくらいニヤニヤしているんですから。
この「ふわふわ状態」は、ぶっちゃけて言ってしまえば「浮かれてるだけ」であって、ギャルゲの攻略部分にもエロゲのSEX描写の部分にもまったくひっかからない。
しかも、やっているプレイヤー本人は画面の中にいるキャラクターを動かして、「カネを払って苦労して他人の浮かれているサマをみせつけられる」というわけのわからない状態になります。まだSEXしているならいいけど、ただ浮かれてイチャイチャしてるのをみせつけられるのはいただけません。
あれが楽しいのは本人たちだけです。
故に、ギャルゲエロゲ20年以上(くらいだったと思う)の歴史の中で、
ギャルゲでは告白で終わり、
エロゲではさっさとSEXに関心が移ってしまって、
恋愛という現象の中で当事者にとっては一番甘い時期のひとつであるにもかかわらず、スポットライトが当たることが全くなかった部分なのです。
大量に姓・名を声優自身の声で呼べるデータとして吹き込んで、タッチペンで直接触れ、プレイヤー自身の姿形・影・指先すらも画面に登場しないという、
徹底したプレイヤーの第三者化の排除によって、プレイヤーは彼女の恋人であるという自覚を持ち、
ギャルゲやエロゲで切り捨てられ続けてきた、恋愛のふわふわ状態を好きなだけ味わうことができる。
しかも、プレイヤー全員で同じ「偶像」としての1人の彼女を追いかけるのではなく、彼女がそれぞれのプレイヤーの好みを追いかけて来てくれるという親近感。
3人の女の子、それぞれ3つの性格、それぞれ10以上の髪型、髪の色、服装の組み合わせは実質無限大といっていい多様性があり、「うちのリンコ」「俺の彼女」という各自の占有感を感じさせてくれます。
○○ちゃんとちゅっちゅしたいよぉ~
という匿名掲示板でのオタクの心の叫びは、タッチペンのDSと家庭用ギャルゲの始祖コナミというコンビネーションで誕生した奇跡で満たされることになる。
それが少子化を推進するか、救われない誰かを救うことになるのかは神の味噌汁ということで。
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